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Channel: syuの日記・気まま旅
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山菜取りと富士山荘の暮らし

5月も最終、今日は曇り空で富士山もかすんでいる。河口湖IC 陣馬の滝方面に山菜取りに出かけた。 滝の水量が多く激しく水が落ちている。 湧水もこの通り 付近の小川、澄んだ水があふれている。 この付近には「あまちゃつる」が群生している。沖縄など暖かい地方によく群生するあまちゃつるだがこの辺りは 富士宮市に位置するのか暖かい。 今日の田貫湖、富士山がかすみかかって影のよう。...

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下総国分寺-江戸川を下る 12

「市川市」 縄文時代より栄え、市内には「堀之内貝塚、姥山貝塚、曽谷貝塚等」多数の貝塚があり、その集中度は国内最大級と云う。 律令時代には、市域に「下総国の国府」が置かれ、「真間」に「手児奈という絶世の美少女がいたという伝説がある。 そのうわさは遠く都にまでとどき「万葉集」に詠まれるほど。東国(関東)を、代表する地域だったと思われる。...

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市川国府台ー江戸川を下る 13

千葉県よもっともっと「緑の町に」 市川市は、県の北西、川を隔てて江戸川区と接し、市名は、江戸川の下流、市場が開かれていた所からなどが諸説。 下総台地の緑地には、古代の遺跡が多い、縄文の中~後期で、最も古いのに「姥山貝塚」、我が国の初の集落遺跡と云われ、堀之内貝塚・曽谷貝塚・環状馬蹄形貝塚がある。 大化の改新により、国府台には「下総国国府」が置かれ、国分寺・国分尼寺が建立し、政治と文化の中心地。...

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市川関所(市川橋)-江戸川を下る 14

「新宿・市川宿・八幡宿」 佐倉街道(成田街道)のうち水戸街道からの分岐である新宿から次が市川宿、八幡宿(3番目の宿場であるが、市川宿を数えずに新宿の次とする説もある)、現在の千葉県市川市八幡。新宿から八幡宿までは五街道の1つである日光街道の支線として道中奉行の支配下に置かれている。 水戸街道は、千住宿で日光街道から分岐し、次の新宿で佐倉街道と分岐している。...

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小岩(影向の松)ー江戸川を下る 15

「市川橋」を渡れば、そこは東京、小岩、右手が葛飾区・左が江戸川区。この先で、川は二岐に別れます江戸川区に「旧江戸川」が。 都と千葉県市川市の境の川、江戸時代初期、1654年、徳川幕府が水害防止等の為、苦労して開削し通水大改修、利根川の分流に。 1972年野田導入路が茨完成され、都の約36%・千葉県市川・船橋・習志野などの重要な上水道源である。...

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葛西橋 ー江戸川を下る 16

都内には、中世の城館跡が多数存在していたと云う、その一つ「葛西城」で、古城跡と云われる場所は、青戸のー旧称御殿山。 ここは、1538年北条氏綱によって落城したと記録がある。 環状7号線整備で発掘調査で、住居・井戸・板碑・・平城跡が発見されている。 「千葉伝考記」に、千葉太郎実胤が下総葛西に住みその地を「千葉村」と称したとある。この辺りは地形的にもー奥州古道ーに面している。...

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大雄山ー 足柄の旅3

「源 頼光」948-1021 武将(藤原道長の忠実な侍) 朝廷内蔵頭就任・摂政 藤原兼家が新築すると馬30頭を献し、兼家の子藤原道長に終世忠実に尽くしたと云う。 頼光は、優れた家来がいて、「渡辺 綱・平 貞通・ト部季武・坂田公時」。大江山の「酒呑童子」を退治した物語は有名である。 家来の「足柄山の金太郎・怪童丸・坂田金時・金時・怪童金時・・」 源頼光ーに仕えた坂田金時・がモデルとなった話。...

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湯河原ー足柄の旅4

「湯河原」神奈川県足柄下郡・県南西端で、静岡県に接し、相模湾に面する温泉の町、川の中から温泉が湧出していたことにちなむ。 豪族「土肥一族」の私領・小田原大森氏(後北条の前)の所領、小田原北条氏の支配を経て、江戸時代に、小田原大久保氏の所領であった。 箱根古期外輪山や湯河原火山の「カルデラ」に囲まれている。...

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万葉公園ー足柄の旅5

「伯爵・牧野伸顕」 1861-1949 87歳没(吉田茂は、女婿・寛仁親王妃信子と麻生太郎曽孫)政治家(薩摩) 東大中退、勲一等旭日桐花授章 第27外務大臣(第一次山本内閣)・第24農政商大臣(第二次西園寺内閣)・第30文部大臣(西園寺内閣)・内大臣・宮内大臣・茨城知事・福井知事 大正14年、内大臣,昭和10年、まで在任。...

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湯河原城山ー足柄の旅6

「石橋山の戦い」-1180年9月・平氏軍の勝利 源頼朝ー300騎をもって石橋山に陣を構え、「以仁王」の令旨を御旗に高く掲げさせた。 谷ひとつ隔てて大庭景親の軍も布陣。さらに伊豆国の豪族伊東祐親も300騎を率いて石橋山の後山まで進出。 頼朝の背後を塞いだ。この日は大雨となった。そのため、増援の三浦軍は、酒匂川の増水によって足止めされ、頼朝軍への合流ができず。...

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真鶴港ー足柄の旅7

石橋山の合戦に敗れた「源頼朝」を、湯河原・頼朝七騎の一人、土肥次郎実平が、平家大庭景親から守り、真鶴へ。 「貴船神社」-真鶴港に鎮座・大国主神、事代主神、少彦名神を祀るー 889年、三ツ石真鶴岬の沖に現れた「木像12体と書状」を、社家平井家の先祖ー平井翁ーが発見して、社殿を建て村の鎮守としたのに始まると伝わる。                      古社...

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真鶴 岩海岸ー足柄の旅8

真鶴は、県南西部、箱根火山の南東麓、小田原と湯河原に間の街で地形がツルが羽を広げた形から来ている。 黒松、楠の大木の自然林と岬の先端で風光明媚。 主産業は、有名な小松石の発掘と加工で歴史のある町である。真鶴半島は、長さ3K・面積7KM2で箱根溶岩流が半島の原型で、起伏がある。 1606年幕府より江戸城用石調達の命令を受け、筑前大名「黒田長政」が、開拓し、江戸の町の建設に重用されている。...

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小田原城ー足柄の旅9

小田原は、中世の平安時代末期から鎌倉時代にかけて、平将門を討伐したことで有名な「藤原秀郷」の子孫、「佐伯経範」が1030年頃に秦野に移り住んで波多野氏を名乗っていた。 後に支流として、松田氏・渋沢氏・河村氏・栢山氏・大友氏・沼田氏などが出て、相模西北部にその一族の勢力を伸ばす。現在の秦野市内、足柄上郡松田町・山北町、南足柄市、小田原市の一部。...

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小田原 笠懸山ー足柄の旅10

堅城の小田原城,栄華を誇った北条時代も、平家時代と同じ諸行無常の運命にあった。 武田軍に、小田原城包囲、1569年1月に北条氏政は駿河薩埵峠へ着陣し、興津において武田勢と対峙している。 同年8月に武田信玄は2万の軍勢を率いて甲府を出立、滝山城などの北条方の拠点を攻撃したのち10月には北条氏康の小田原城を囲んだ。...

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小田原 春日局ー足柄の旅11

「石垣山一夜城」は、1589年 北条氏は「真田昌幸公」の名胡桃城を攻めます。これが、秀吉公の小田原攻めのきっかけを与えてしまいます。 その後、小田原攻めの準備は着々と進み、2月には徳川家康公、が先発隊を出陣させます。 この段階で北条氏がもくろんでいた三国同盟の一角はくずれます。4月には秀吉公は小田原城を包囲します。                          石垣山登り口...

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下曽我 曽我兄弟ー足柄の旅12

小田原・酒匂は、市の北東部・酒匂川東岸で、中世期は、宿があったと云う。 酒匂川は、県西部を流れる川、富士山東麓の水を集める鮎沢川と丹沢山地西部の河内川の2川が源として、山北町で合流され松田町で川音川をあわせて 「足柄平野中央部を南流し、小田原市街で狩川と合流してー相模湾へー 丹沢山地と箱根火山の間に酒匂渓谷をつくり、足柄平野のほぼ全域に扇状地を形成している。...

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海老名 相模国分寺ー足柄の旅最終

神奈川県海老名市は、県中央部、相模川に沿って広がる市。 大きな海老が生息していた土地にちなむという、東半分が相模原台地・西半分が沖積低地で水田地帯が広がる。 京浜に近く野菜・果実栽培が盛ん、相模原台地西端地区には古くから住んだ「秋葉山古墳群」があり、国府の所在地で、国分寺・国分尼寺もおかれ、 相模国の中心であった。京浜に近いのと都内にも近くなり都市化が進んでいる地域。...

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佐野市ー古河の旅 1

栃木県佐野市、県南西部・渡良瀬川を渡ると群馬県、市名は、古代・中世の「佐野荘」、「狭野」が転じたとも云う。 佐野と云えば、恒例の「秀郷祭り」8月第二土・日曜行われ、藤原秀郷の「平将門の乱」平定の功を、子孫が、足利氏・小山氏などの「武士団」となり 藤姓足利氏から「佐野氏」が派生した。 「万葉集」の東歌ー下毛野美可母の山の小楢のすま麓し児ろは誰がけ持たむーと歌われ「三毳山・225m」がある。...

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足利市ー古河の旅 2

「金山城」 太田市のシンボル金山。赤松に覆われている秀麗な山。 戦国時代に城が築かれ,金山山頂中心の18.3ha北城、八王子山の砦と大手の士と屋敷など含め全部でー97.8ha。 平成14年国の史跡に指定される。 戦乱の世が反映された実践的な城で、土塁や堀切、石垣や石敷きなどが多用されているのが特徴。 「桜の井戸」 斜面に「桜の井戸」があり、戦国期から、いままでも水をたたえている。...

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栗田美術館とフラワーパークー古河の旅 3

「藤原宗円」 1086-1159  (宇都宮氏をなのる初代当主) 藤原兼家の次男、兼家は、平安中期「一条天皇」の摂政となり力を持っていた。宗円は、藤原道兼の孫。 「前九年の役」の戦功によりー下野守となる。 栃木県は、縄文早期ー宇都宮市の「大谷寺洞穴遺跡」・石器時代の「葛生町、山菅洞穴」など、遺跡の多い県。...

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