大磯宿 syu散歩
神奈川県中郡 大磯町(宿) 県中南部、ここも相模湾に面し、大磯丘陵南麓の海岸段丘上にある。町名も長く続く磯からきている。 西部の国府は、相模国府のあった所で、中世から文学作品などの名がみえ、「曽我物語」には「大磯宿の遊女虎が曽我兄弟の兄「十郎」の愛人として登場 、様々な伝説が残っている。 江戸になると東海道の宿駅として栄え、南西に「西行」ゆかりの「俳諧道場・鴫立庵」がある。...
View Article県立大磯城山公園 syu散歩
「海を見下ろす 湘南平」 高い山ではないが相模湾を一望できる眺望は素晴らしく、桜の木も多く花見の季節は家族連れで賑わう。 平塚市の高麗山(168m)の公園の一部で、北側の旭地区出縄から地続きでバス通り、高麗山公園と泡垂山の公園全体を、湘南平などと称される。 高麗山公園内にはハイキングコースが整備、四季を通じて家族連れや中高年ハイカーが訪れ、近隣の小学校では格好の遠足コースとなっている。...
View Article吉田茂邸 庭園 syu散歩
県立大磯城山公園 「旧吉田茂邸地区日本庭園」 国道一号線を挟んで旧三井別邸地域とその向かいが、「旧吉田茂邸地区日本庭園」となる。 面積ー約3000m2 兜門(講和条約門)・芝広場・中池・上池・心字池・藤棚・十三重層塔・大滝・小滝・云い落ちの滝…バラ園。 久恒秀治設計の庭 吉田茂銅像はサンフランシスコを向いて立っているという。...
View Article新緑の陣馬の滝 澄んだ水 syu散歩
経の富士山6/3雪はまだだいぶ残っている。 陣馬の滝 五斗目木川 澄んだ水 遠照寺と太鼓石 陣馬の滝に連なる頼朝の話。 田貫湖 富士山は見えない、裾のみ 建久4年の1193年、 「源頼朝」は、富士の裾野で武将と数十万人の兵を集めて盛大な巻狩りを。 この最中、工藤祐経の陣屋にて夜半、曽我十郎祐成、曽我五郎時致の兄弟が親の仇討ちを果した。...
View Article真鶴 三ツ石 荒井城址公園
「石橋山の合戦」-1180年源頼朝と大庭景親の戦い、夜襲を受けた頼朝軍は惨敗する。 平安時代末期の治承4年(1180年)に源頼朝と大庭景親ら平氏方との間で行われた戦いで、「治承・寿永の乱」と呼ばれる諸戦役のひとつ。...
View Article藤沢から江の島へ セーターを着た雀
「相模国・藤沢」-日本橋から48.9km・藤沢宿本陣1、脇本陣1、旅籠屋大10、中15、小20 藤沢は、「遊行寺」の門前町として、歌川広重53次の藤沢は「清浄光寺の遠景が。 鎌倉時代「一遍上人が開いた宗派 時宗ー踊念仏で全国を遊行した遊行寺がある。 時宗の総本山で正しくは、藤沢山無量清浄光寺と云う。大銀杏、怨親平等の碑でも知られ,侠客国定忠治の子分板割浅太郎がこの寺で出家を墓もある」...
View Article江の島ひとめぐり
「藤沢市江の島」市の南部相模湾岸、境川河口にある小島。 境川の運ぶ土砂によって出来た「片瀬海岸との陸繫島で、島の名は、形が「江」の字に似ていることによる。 新第三紀の凝灰岩・砂岩を基盤として関東ローム層のおおわれている。南岸は関東大震災のと隆起した海食台がある。 「真白き富士の嶺・緑の江の島」...
View Article江の島 龍口寺の彫刻
鎌倉時代後期から史書に名前が出てくる「刑場」鎌倉初期からこの辺りで首実検が行われていたと云う。 義経の首も腰越の浜で首実検されたと云うが、場所で検分されたのかもしれない。 腰越状を書いた満福寺が近い。 龍口の名前の由来はこの地に残る五頭龍伝説から来ている。 むかし、悪事を働いていた五頭龍が江ノ島の弁天様に惚れ、改心してこの地の守護神になったとされるところから、この地名となったと云う。...
View Article房総 大山千枚田と蓮の花
大山千枚田は、房総半島のほぼ真ん中の位置にする、東京から一番近い棚田といわれています。 6月中旬宿の勧めもあって見学に行きました。 平野の田んぼでは耕地整理が行われましたが、大山千枚田は耕地整理が遅れたために、現代まで昔ながらの景色が残っているのだそうです。 嶺岡の山並みのふもと、 面積約4ヘクタールの急傾斜地に、 階段のように連なる大小375枚の田んぼ。 千葉県指定名勝の「鴨川大山千枚田」と、...
View Article新宿駅 付近ーsyu散歩
「内藤氏」 三河の松平氏(徳川氏)の家臣で江戸時代に大名となった内藤氏は、 丹波・周防の内藤氏と同祖とされるが、この間、戦国期までの事蹟は明らかではなく、仮冒の可能性も強い。...
View Article山中湖から須走へ
「富士山」 三浦半島~伊豆半島に相模湾・伊豆半島、狩野川、富士川の田子の浦を相模湾。 富士山には、富士宮口登山道・東海道、富士市・富士宮ー朝霧高原ー「本栖湖」-青木ヶ原、大室山ー「河口湖・西湖」-富士吉田、忍野八海「山中湖」 自衛隊北富士演習場ー吉田口登山道、御殿場の途中に「須走」がある。...
View Article東口本宮 富士浅間神社・須走
「須走登山道」 富士山東本宮富士浅間神社(東富士五湖道路・道の駅すばしり)-ふじあざみライン・旧馬返ー御室浅間神社跡ー2000m須走五合目(古御岳神社) ー須走幻の滝・避難小屋(無人)「小富士(1979m)ー駐車場・車で行ける。 五合目~六合目ー2000mの五合目、大山祇命の古御岳神社がある。約一時間の登山で六合目「長田山荘」-「瀬戸屋」 この辺りは緑も多いシャクナゲ・ユリなどが。...
View Article138号線・鎌倉道
「伊奈 忠順」生年不詳。 1712年、江戸時代中期の関東郡代。通称は半左衛門。関東郡代・伊奈忠常の次男、兄に忠篤。室は折井正辰の娘、嫡男に忠辰。 伊奈貞長の次男・忠逵を養子としたとある。...
View Article山椒の実 収穫と保存
山椒の収穫です。ここ富士山麓 標高1000mでは今が最高です。 庭には自然に生えた山椒の木が何本もあります。しかし10年ほどたたないと実はなりません。 ゴミや余分な枝をとり、あく抜きをして冷凍保存をします。そして1年間「ちりめん山椒」や醤油漬けなどにして大切に利用します。 栗も花が咲きました。 ミョウガもたくさん出てきました。
View Article河口湖 きじ料理を食べに
今日の富士山は曇り 河口湖 きじ亭 広々とした 座敷つづきの 素晴らしい所で 静かな囲をかこみ 名物きじ料理を 賞味。 富士五湖唯一の 全国的にも珍しい 独特の風味と 格調高い きじ料理専門店です。 雉子(きじ)肉は脂肪分が少なく、軽い歯ごたえとサッパリした味が、初めての方にもグルメ通の方にも大変好評です。自家製味噌は料理長が厳選した素材で、ブレンドした味噌です。 これはきじのお刺身...
View Article金時山・足柄竹之下
「足柄城」 899年、坂東に群盗が横行し、貢納物もたびたび強奪されたため、太政官府が「足柄の関」を設けた。 その効果は著しく群盗は一年足らずで鎮圧され、翌年には関も廃され、その後平安期は緊急時に足柄の旧関が度々利用されたと云う。 しかし鎌倉期には、すでに関跡も定かではなく、1221年、に没した「飛鳥井雅光」の「足柄の関を読める歌」には、...
View Article御殿場市内 アウトレット
「御殿場市」-静岡県北東部の市、「徳川家康」が駿府~江戸間の休憩御殿がおかれた。 御殿場は古代から富士と箱根山麓の要衝で「官道」が走り、律令体制下では、「駿河最大の駅・横走駅」が置かれている。 10~11世紀頃には、伊勢神宮の「大沼藍沢御厨」が成立し近代まで当地域は「御厨地方」とも呼ばれている。 江戸時代は、大半が小田原藩の属し、1707年宝永噴火では、壊滅的な打撃を受けた。...
View Article富士山胎内 清宏園
富士山「宝永大噴火」 宝永山は、1707年の宝永大噴火で誕生、富士山最大の側火山。 標高は2,693 m、この宝永の大噴火以降は噴火していないため、この宝永山が富士山の最新の側火山になる。 宝永火口は富士山の南東斜面にある火口で、宝永大噴火により形成された3つの火口が連なる。 山頂側から第1火口、第2火口、第3火口と呼ばれ、 第1火口が最も大きい。...
View Article東山湖 御殿場
「御殿場・小山の伝説・九頭竜山」 昔、御殿場は、伊勢の御厨だった頃。 御厨から箱根へは乙女峠を越えて仙石原へ出たが、仙石原には温泉が出るので、御厨の人々は秋の仕事の終わりなどにつかりに行くのだった。その時も、ひとりの旅人が乙女峠を仙石原へ越えようとしていた。 旅人はいわれるより大変な峠越えで汗まみれになり、道ばたに倒れていた太い松の木に腰を下ろして一服した。...
View Articleアジサイとブルベリーの実
猛暑日が続きます。東京は34~35度と寝られない夜がつらい所ですが、ここ富士山麓 標高1000mの富士山1合目。 27~30度くらいの毎日です。湿気のない空気は爽やかで常住したいところですが・・。 今日の富士山、7月中旬。明日は雨かと?しかしちょっと曇り少し雨でした。 満開のアジサイ ブルベリーがこんなにたくさんなりました。...
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