楽しい松川遊歩道と音無神社
源頼朝の妻と言えば、北条政子。 そんな二人が結ばれる前、頼朝と結ばれた女性がいた. 「八重姫」 八重姫が生まれ育った伊東の「音無神社」は、頼朝と八重姫が密会した場所と言われ、今では、恋愛パワースポットに。 市のほぼ中心部にある「日暮(ひぐらし)神社」。 境内には大きな大木が覆い茂るこの場所は「日暮の森」とも。...
View Article家康が好んだ御茶ノ水の湧水
江戸時代、 御茶ノ水付近一帯は、武家屋敷地であった。 現在では、地区内と周辺に明治大学、日本大学理工学部、東京医科歯科大学、順天堂大学などの大学や専門学校、予備校が集る日本国内最大の学生街として知られ、江戸の総鎮守の神田明神、湯島聖堂、ニコライ堂等を始めとする宗教施設、有名病院等が多数存在する。 また、名所を多く抱える広範な文化ゾーンを形成し、...
View Article都心の静かな小石川後楽園、梅が見頃
2019年2月上旬の小石川後楽園 特別史跡・特別名勝「小石川後楽園」 都立文化財9庭園「浜離宮・六義園・岩崎邸庭園・向島・清澄・旧古河庭園・殿ヶ谷庭園・旧芝離宮」 後楽園は、水戸徳川家祖「徳川頼房」上屋敷に造られた。二代光圀の代に完成、回遊式泉山庭園、造成には、中国「朱舜水」円月橋・西湖堤等が。 飯田橋駅より出入口 西門...
View Article小石川植物園 300年前徳川幕府が小石川薬園として 1
正式名称は、「国立大学法人東京大学院理学系研究科付属植物園」ー植物学の研究・教育実習施設。 約300年前の1684年、徳川幕府が当地に設けた「小石川薬園」。 面積48.880坪で地形の変化に富んで、我が国近代植物学発祥地・今では、標本約70万点・図書約2万冊などいろいろ活用されている。 栃木県日光市に「日光分園」がある。「公開は4月15日から11月まで」...
View Article赤ひげ診療譚で有名な小石川養成所 2
東京都文京区小石川は、区の中南部、小石川台地と旧千川上水にまたがる地域、1889年東京市に編入・昭和22年本郷区と合併し「文京区」に。 東に「白山通り」・南に「春日通り」・台地上に「伝通院」と寺が多い。 大正期の「太陽のない街」徳永直が描いた労働闘争の町が小石川・多くの文士・芸術家が移住している。出版印刷業の商工業地域でもある。...
View Article綱吉側用人・柳沢吉保と六義園
千駄木「六義園」 江戸時代、この付近は、植木の産地として知られていた。 飲料水を引き庭園を造ったのが、5代将軍徳川綱吉の側用人「柳沢吉保」 吉保自身が撰した「六義園記」-日本風にむくさのそのーと読ませている。 文学趣味豊かであったようだ。園内の「藤代峠」からの眺めが絶景である。 「柳沢吉保」 1658-1714 5代将軍に仕えた側用人...
View Article調布 深大寺 我が家の愛猫が眠る
東京都調布市は、都のほぼ中央部・武蔵野台地南部で、古代朝廷に納める「調・税のカラムシを原料とした布」を生産しておいたことから地名に。 明治26年東京府に編入している。 段丘下の湧水は、深大寺湧き水と野川・仙川・入間川の水源となっている。 江戸時代は、甲州街道、布田5宿がおかれた。稲田堤の桜名所ー1940年から宅地造成が急速に進み「近郊住宅都市」に。...
View Article今は梅が満開 神代植物公園 桜は4月
関東平野の南西に広がる「武蔵野台地」、南に多摩川・北東に荒川・北西に入間川に囲まれ、菱形の地形をしている。 これは、水系によって扇状地がつけれて、その後、地盤が隆起し、その表面に富士山の火山灰土の関東ローム・赤土が堆積した。 武蔵野には、「はけ・崖」と崖沿いに「湧水」に恵まれ、古くから水田が開けている。 大岡昇平の昭和25年に「はけ」を舞台にした「武蔵野婦人」有名である。大岡は、日本地質学会委員。...
View Article昭和記念公園 東京ドーム39倍の広さ 2月の真冬日
「武蔵七党」 平安時代後期から鎌倉時代・室町時代にかけて、武蔵国を中心として下野、上野、相模といった近隣諸国にまで勢力を伸ばしていた同族的武士団。 平安時代武蔵国は、台地が広がり牧畜に好都合で、関東にいた人が馬飼部として牧畜に携わったことから、多くの牧が設けられ、その管理者の中から、多くの中小武士団が生まれた。...
View Article昭和天皇在位50年記念 今は梅と寒椿満開
立川市砂川と云えば、1957年「砂川事件」を思い出す。住民と労働者と学生が、アメリカ軍立川基地拡張に対して、反対デモ・運動を起こした。 昭和57年7月に基地拡張するための測量が、それに反対したデモ隊が警察ともめ、一部の7人が基地に入り「刑事特別法」違反に問われた事件である。 昭和59年最高裁判決は、「我が国が必要な自衛の措置を取りうることは当然である、、、」と指摘した。...
View Article殿ヶ谷庭園 春の七草 秋の七草
「武蔵国」は、古代から使われ旧国名ー埼玉・都・神奈川(川崎、横浜の一部)の地域で、関八州の一つ「武州」とも云う。 牟邪志(むさし)・胸刺・知々夫の3国に分かれていた。 律令制下で「武蔵国」に統一され、国府と国分寺(現在の府中国分寺)に置かれた。 川越・熊谷付近の8世紀頃は、大規模な条里制が敷かれ「荘園」が成立、後管理者の中に、「武蔵7党・坂東八平」の武士団が結成された。...
View Article明治の頃 武蔵野は別荘地
甲武鉄道ーJR東日本管轄中央本線は、明治22年、甲武鉄道 新宿駅 - 立川駅間が開業し、中野駅・境駅、現在の武蔵境駅・国分寺駅・立川駅が開業。 8月に、立川駅 - 八王子駅間、が延伸開業し、八王子駅が。1890年の明治23年、日野駅が開業・明治24年、立川駅 - 日野駅間に多摩川信号所が出来た。その12月に、荻窪駅が開業している。 明治27年、陸軍省の軍用線として新宿駅 -...
View Article西武線 花小金井辺りは桜の名所
「西武鉄道・新宿線」 1891年の明治24・明治25年に、免許状下付、明治27年、 川越鉄道川越線国分寺駅 - 久米川駅間の8.0km 開業した。 その年に、小川駅、久米川駅開業、明治28年、 久米川駅 - 川越駅(現在の本川越駅)間の21.7km 開業し、所沢駅、入曽駅、入間川駅、川越駅開業。久米川(仮)駅廃止され、 東村山駅として開業・明治30年、 南大塚駅・昭和2年、 東村山駅 -...
View Article小金井公園 桜が待ち遠しい
都立「小金井広域公園」 小金井市・一部小平・西東京・武蔵野のまたがっている。 1940年の昭和15年、 紀元2600年記念事業の小金井大緑地として計画され、翌1941年12月までに用地90haを・昭和16年に、 光華殿(現・江戸東京たてもの園ビジターセンター移築し、敷地9万坪(約30ha)と併せて文部省教学局に貸付、国民練成所を設置。...
View Articleたてもの園 昔懐かしい入谷の居酒屋鍵屋など 小金井公園
都歴史文化財団「江戸東京たてもの園」JR武蔵小金井・バス5分・公園内にある。 休園月 入園料65才以上¥200 平成5年面積約7haに開設された。「復元・保存・展示 また、四季を通じた催しがある」 山の手西ゾーン 常盤台写真館・三井八郎右衛門邸・奄美の高倉・吉野家農家・八王子千人同心組頭の家・前川国男低・大川邸・綱島家・小出邸・デ.ラランデ邸 「高橋是清」 1854ー1936 (81歳)...
View Article巨木ヒマラヤ杉 小金井公園の常緑樹
「多摩川」は、東京・山梨・神奈川県に流れる「多摩川水系」・最後は、東京湾に注ぐ、「一級河川」。 下流部は、都と神奈川の都県境になっている。 全長 138km 面積 1240km2 「玉川上水」立川市内を流れる玉川上水 延長 43km 。取水元は、多摩川(羽村取水堰)都羽村市。 かつて、江戸市中へ飲料水を供給していた上水(上水道として利用される溝渠)であり、江戸の六上水の一つ。...
View Article緑濃く自然いっぱい 玉川上水遊歩道
「北多摩地区」-吉祥寺・井之頭・深大寺・小金井・小平・多摩湖・狭山湖・府中・立川・国立・武蔵村山・東大和・久留米…を云う。 中央高速・中央本線(三鷹~立川・昭島・拝島・福生・・)・玉川上水・多摩遊歩道・青梅街道、新青梅(五日市街道他)・西武線(新宿、池袋、拝島) JR武蔵野線が中央を横断している。都心に近く住宅地が西多摩地区へと広がっている。...
View Article富士山荘オープン ここはまだ冬です
3月お彼岸も過ぎ山荘をオープンしました。 今年は雪も少なく積もることも少なかったのですが、たまたまこの日に雪が降り朝は-6度でした。寒かった! 輝く富士山 山荘の辺りはまだまだ冬です。
View Article西武拝島線 東大和市にある都薬用植物園
「漢方」 医・薬・療法・漢医 主に草・根・木などから作られた生薬、漢薬と云う。皇漢医学・漢方によって治療を漢方医、中国から伝来して、日本で発達した。全体的治療を主眼としている。教種混合の合剤が多い。 都の薬用植物園は、昭和21年設立。 薬用植物を収集・栽培されている。...
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